摂食障害からの回復:心理の柔軟性

この文章はTabatha Farrarのブログから翻訳したものです。

元のタイトルは:Full Recovery: Mental Flexibility

原文はこちら:https://tabithafarrar.com/2018/10/full-recovery-mental-flexibility/

 

摂食障害からの完全な回復は体重の増加以外にもいろんなことを意味する。いくつかのレイヤーで相関するすばらしい心理的な変化ーーやがて摂食障害からの心理的な自由こそが回復の目標である。摂食障害の治療でおうおうにして見過ごされる神経の再構成(neural rewiring)こそ、摂食障害からの心理的自由をえるための大事なものである。「回復」の過程をへても心理的な変化がなかったら、それは回復ではなく、単なる体重の増加でしかない。それもりっぱな結果ですが、、、まだまだ道が長い。

Rehabilitate, Rewire, Recover! 」では栄養状態の回復と神経の再構成についてたくさん書いたもので、ここでは神経の再構成についてまたくどくど書くのはやめる。ここでは、回復中の人に完全な回復(神経の再構成とエネルギー負債からの脱出を前提とする)はどのような心理的状態の違いをもたらすかを少し紹介したい。体重がいくつであろうが摂食障害を患う可能性はある。自然な体重をおさえるような行動をまだとっているうち、摂食障害から回復できているとはいえない。

 

完全な回復はたくさんの心理的変化をもたらす。ここでは「心理の柔軟性」に焦点をあててみたい。

「心理の柔軟性」?

「心理の柔軟性」とは、予定が変わってもメルトダウンしないですむ能力だ。

摂食障害の人では24時間マインドの人が多い。24時間単位でカロリー計算をし、24時間単位で運動量をカウントする。多くの人は毎日を同じように過ごす。同じルーチンをくりかえすことで焦燥感を減らすことができるのだ。自分に「ふさわしい」食事、運動、ルーチンを習得し、それらに遵守することで安心感をえる。食事を制限していると、脳が飢饉がきていると思い込み、生存本能運転に切りかえるからだと思う。脳が環境に脅威を感じると、自分がより安全だと思う行動を習慣的にくりかえすようになる。

この状態が心理的柔軟性の欠如をもたらす。例えば:

電話がなった。とってみると、「タバタ、ママだよ。ロムジーの近くでパパの車が故障してしまって、業者に車庫に戻すように頼んで、今それを待っているところなの。私今日おばあさんに会いにロンドンにきているから車庫まで迎えにいけないんだけど、迎えに行ってあげてくれない?」

この状況だと、迎えに行くのが普通でしょう。でも、摂食障害の真っただ中の私ならテンパってメルトダウンするでしょう。一方で迎えに行くべきだと思いずつ、もう一方で一日の予定が乱れることでパニクるでしょう。もっと嫌なことに、ロムジーまで車を運転して、また家に戻るのは一時間以上かかるーーつまり一時間以上すわっていなければならなく、その「損失」を食事量を減らすことで補わなければならない。そしてお金ーーそこまで運転するとガスも使われる、それは嫌だ。お金を使うことはいつもより多く食べることと同じくらい、もしくはもっとストレスなのだ。

摂食障害のない人にとって、上述の問題はどれも全く問題ないでしょう。私だったらどのように感じるのか味わって見てほしいものだ。摂食障害脳にとっては、いつもより活動量が減るもしくは食事量が増える、お金を使うのはHPA軸総動員のストレス反応だ。脳は時速一億キロでどうすれば問題は解消されるかを考える。お父さんを迎えに行って、なお一日の所定の運動量をこなし、ガス代を稼ぐ(貯金は十分にある。単純に摂食障害脳がお金がないのだと思い込んでいて、使った分を全部稼ごうとする)のにどうすればいいのか。こういうぐるぐる考えは時として耐えられないほどのもので、私はシャットダウンしてしまう。そういうときは、迎えにいけないのだと答えてしまう。とてもおかしいことだーー助けが必要な人がいたらいつだって助けたい。でも人を助けたいという欲望が恐怖にオーバーライドされた。

あるいはがんばったかもしれない。車に乗って、運転中ストレスと焦燥の重圧でふるえる。役目を果したら、明日の朝までこの日予定していた運動をこなし、車で座ってた時間のためにさらに運動をした。

これは全部心理的柔軟性の欠如の表しである。一日の予定の変更は常に非常に高いストレスをともなう。予定を変えなければならない場合、その後数時間私はストレスでダウンしてしまい、またいつもより頑なに予定を維持し、ルーチンを戻そうとする。

誰かに説明することなんてできなかった。コーヒーでも行こうと急に誘ってきた人は断れても特に気にしないだろう。約束なしにうちまできた友達は小走りで隠れているすを使う私を変なやつだと思って関わらないようにしただろう。忙しいから手伝えないと言った私は自分勝手なやつだと思われてきただろう。

本当は急に現れた訪問客に対応できるほどな心理的な柔軟性がなかったのだーーとてもひとりぼっちだと感じているのにも関わらず。本当は自分のやっていることを止めて人のお手伝いをするほどの心理の柔軟性がなかった。本当は毎日繰り返ししてきたルーチン以外のことをするほどの心理の柔軟性がなかった。

回復ーー神経の再構成と栄養状態の回復ーーは脳にリソースは十分手に入れることを教える。脳は徐々にリラックスし始める。いつか呼吸を止めて隠れて居留守を使うより、客人に扉を開けて迎えたいと思えるような日がくる。それが人生がふただび始まったという一つの象徴である。