初めて学ぶ文化人類学(1)

このブログはミネルヴァ書房出版の「はじめて学ぶ文化人類学」からとったものです。

本章の作者は 岸上伸啓 です。

はじめに

 文化(社会)人類学もしくは民俗学とは、フィールドワーク(現地調査)によって世界各地の文化や社会を調査・研究し、最終的には人間とは何かを探求する学問である。フィールドワークの成果として特定の文化や社会の人々の生活や活動を記述したのものを民族誌と呼ぶ。民族誌の起源は紀元前5世紀のヘロドトスにまで遡ると言われているが、学問としての文化人類学の始まりは、「文化(Culture)」という概念を初めて体系的に定義したE.B.タイラーの研究とするのが定説である。タイラーが活躍した19世紀後半から数えると、その歴史はすでに150年近い。

 本書の目的は、この150年あまりの間に文化人類学がどのような展開を遂げてきたかについて、主要な研究者の経歴や研究活動、研究内容・著作、基本概念に焦点をあてながら、「文化人類学の形成期」(1880〜1940年代)、「展開期」(1950〜80年代半ば)、「文化人類学への批判と新たな展開の時期」(1980年代半ば以降)の3期に大別して、できる限り平易に紹介することである。また、大量的な日本人研究者についてもコラムで紹介する。

 19世紀後半の欧米社会では、人類の文化や社会は一方向に進歩するとした一系進化論が中心的な見方であったが、それは20世紀前後にドイツ・オーストリアで発展した伝播論に取って代わられていった。一方、アメリカにおいてはヨーロッパとは違った人類学の展開が見られた。

 アメリカでは20世紀初頭から半ばにかけてF.ボアズの影響の下、歴史的個別主義が勢力をもった。この流れは、R.ベネディクトらに代表される文化の様式論や文化相対主義へと展開する。その後、さらにD.シュナイダーやC.ギアツに代表される象徴人類学や解釈人類学を生み出すことになる。アメリカでは、文化人類学という学問名称が定着した。このボアズに端を発する文化人類学は継続するものの、1940年代から法則定立的な立場に立ち、文化進化に関心を持つL.ホワイトやJ.スチュワードの影響力が拡大した。1960年代に入るとこの新たな文化進化論は収束するが、その流れをくむ生態人類学が飛躍を遂げることになる。

 イギリスでは、1920年代にB.マリノフスキーやA.ラドクリフ=ブラウンに代表される機能主義人類学が出現した。機能主義人類学は、進化論や伝播論を憶測による人類史の再構成にすぎないとして退け、フィールドワークに基づくより科学的理論志向の強い研究を定番化させた。この伝統は1950年代まで続く。イギリスではアメリカと異なり、この分野の名称として社会人類学が定着した。その後は、ラグクリフ=ブラウンのオックスフォード大学社会人類学教授の後任であるエヴァンズ=プリチャードが社会の科学(説明)から人文学(解釈)への変更を宣言したため、社会人類学の目的は大きく代わり、アフリカや南アジア、オセアニアなど様々な文化や社会の象徴や分類、儀礼に関する研究が花を開く。

 フランスでは、M.モースやE.デュルケーム、K.マルクスの影響の下、独自の人類学が形成される。その1つが1950〜70年代にかけて大きな影響力を持ったC.レヴィ=ストロース構造主義人類学であった。1980年代以降はそれを批判的に継承したM.ゴドリエに代表されるマルクス主義人類学とP.プルデューに代表される実践理論が影響力を持った。さらにD.スペルベルに代表される象徴研究も出現した。この3つの流れは今世紀に入っても継続している。

 1980年代に入ると、文化人類学界の中で自己批判の動きが高まり、それまでの文化人類学に大きな転換を迫った。特に、調査者と被調査者との間に潜在する権力関係や他者表象のあり方などの問題が指摘された。その中で大きな役割を果たしたのが、J.クリフォードらの『文化を書く』(1986)の出版であった。同書によって人類学者による俯瞰的で客観的な他者表象には限界があることが明らかにされ、1980年代末から文化人類学の低迷、模索の時代が始まった。そして現在に至るまで、文化人類学は多様化の一途を歩み続けている。

 アメリカでは、実験的民族誌の試みやマルチサイト人類学などが提案される一方で、ジェンダーエスニシティ、実践コミュニティ、医療、経済社会開発、環境問題、グローバル化を研究対象とした多様な人類学が展開し始めた。

 イギリスでは、1980年代以降、モノと人の関係性に着目した研究が流行し、A.ジェル、D.ミラー、M.ストラザーンやT.インゴールドらによって新たな研究の流れが出現した。これらは存在論的人類学の先駆けでもある。

 フランスでは、B.ラトゥールに代表される科学技術研究や、P.デスコラによって自然と人に関する生態人類学的研究が行われた。同様の動きはブラジルのE.ヴィヴィイロス・デ・ガストロによるヒトと動物の関係について独自の視点を打ち出したアメリカ先住民研究や、オランダのA.モルによる医療人類学研究にも認められる。彼らの研究は「存在論的人類学」と総称されている。

 なお、本書においては文化人類学社会人類学民俗学は、力点をそれぞれ文化、社会、民族に置くという違いはあるが、その内容はほぼ同じである。また、アメリカ流の文化人類学は、人間の様々な生活様式を記述する民族誌とそれらを比較し、理論化する民族学とから構成されていることを付言しておく。

 この約150年の間に文化人類学は多様化し、様々な見解や仮説が生み出されてきた。これまで、研究者に焦点に当て、文化人類学を紹介した書籍として蒲生正男編『現代文化人類学のエッセンスーー文化人類学理論の歴史と展開』(ペリカン社、1978年)や綾部恒雄編『文化人類学群像1〜3』(アカデミア出版会、1985・1988・1988年)がある。これらは、主に学問的評価が定まった過去の文化人類学者を紹介する点に特色がある、文化人類学の基礎を学ぶには有用な参考書的な入門書であった。しかし、最後の巻が出版されてから約30年近い歳月がたち、文化人類学では新しい研究が出現するとともに、テーマや対象、研究方法がさらに多様化した。編者はこのような状況をかんがみて、最新の研究をも含めた、文化人類学者の研究を紹介する書籍が必要であると考えていた。絶妙のタイミングでミネルヴァ書房からそのような書籍の出版提案があったので、自らの能力の限界を顧みず、大胆にも編者の仕事をお引き受けすることにした。

 本書を通して1人でも多くの方が文化人類学に関心をもっていただけるならば、編者としては望外の喜びである。最後に、本書に寄稿してくれた全ての執筆者の皆様と編集者の前田有美さんに心からお礼を申し上げたい。

 

2018年1月

岸上伸啓